医療、介護の基本的な考え方と「おなら」の話し耳が聞こえにくくなった患者さんと耳鼻科の医師との会話です。 患者:最近、耳が遠くなって困っています。 医師:ほ〜、どんなところでお困りですか。 患者:それはもう、いろんなところで、耳が聞こえにくくなると困りますよ。 医師:例えば、どんなところで? 患者:そうですね。例えば、自分の「おなら」の音も聞こえにくくて困ります。 医師:どうして困るんですか? 患者:自分では音がしない「おなら」をしたつもりですが、周りの人には大きな「おなら」の音が聞こえたみたいで、とても恥ずかしい思いをしたことがあります。 医師:そうですか。それではお薬を処方しておきますので、1日2回、食後に服用して下さい。 患者:ありがとうございます。これは耳が聞こえるようになる薬ですか。 医師:いいえ。「おなら」の音が大きくなる薬ですよ。 これは、子供の頃に聞いた噺で、腹を抱えて笑った記憶があります。 「日常生活の自立」と言う考え方があります。 特に介護保険制度が始まってから、医療保険についても「日常生活の自立」と言う考え方が広がってきました。 つまり、何らかの病気や障害をもつに至った場合に、病院へ行けば、まずそれを治療することになるわけですが、その前に何故治療が必要か?を考える訳です。 例えば、右足を骨折した場合に、何故、治療が必要かを考えます。 「そんなことは当たり前だ」と思わないで考えてみてください。 右足を骨折した場合に、生活に支障があるかどうかを考えます。 当然、歩けないわけですから、例えば、 トイレに一人で行けない。 衣服の脱着ができにくい。 外出が困難なため、買い物ができない。 室内でも移動が困難なので、食事を作ったり、食べたり、洗濯したり、等々 あらゆるところで日常生活に支障をきたすわけです。 この日常生活の困難を解決して自立した日常生活を回復するにはどうしたら良いか。 そこで、医療的な治療を行って元通り歩けるようにするのが良いのではないかと、日常生活自立に向けた方向を決めることになります。 ややこしく考えなくてもよいのではないかとお思いかもしれませんが、例えば医療的な治療を行っても回復の見込みがない場合はどうしたら良いのでしょうか。 老齢化による様々な障害。これは進行を遅らせることは出来るかも知れませんが、不老不死の治療はできません。 認知症もそうです。完治させることはいまのところ出来ません。 脳血管障害による半身麻痺。これも初期回復期以外は医療的治療には限界があります。 先ほどの例で、耳が聞こえにくいと言う聴覚障害。 これが老齢化によるもので、医療的治療では回復できない場合だったとしたら。 まず、日常生活にどんな支障があるのかを考えます。 もちろん、「おなら」の音が聞こえにくくて恥ずかしい思いをすると言うのもありますが、 まず、人とのコミュニケーションがとりづらくなる。 テレビの音が聞きづらいので音量を大きくすると近所に迷惑がかかる。 電話が鳴っても聞こえないので外部からの連絡がとりづらくなる。 結果として、外部社会や人との接触が少なくなり、寝たきりになる可能性がある。 あと、火災が発生しても火災報知器の音が聞こえないため、身体生命に危険が及ぶ可能性がある。 これらの日常生活の支障を軽くして、自立した生活を送れるようにするにはどうしたらいいか。 まず、医療的治療を考えますが、これに限界がある場合。 ちょっと考えてみてください。 そうですね。 「補聴器」を付ければいいですね。 電話の場合も、閃光と振動で着信を知らせる電話機もあります。 携帯電話でもバイブレーター機能は標準で付いています。 火災報知器も閃光と振動で知らせるものもあります。 脳卒中で右半分が麻痺した場合はどうでしょう。 日常生活に支障がでてきます。 (どんなところに生活上の支障がでてくるかは、考えて列挙してみて下さい) これを軽減するには 車いす、歩行用補助杖、歩行器等を利用する。 自宅に、手すりを取り付ける。床の段差を解消する。開き戸を横引き戸に変更する。 訪問介護サービスを利用する。 これらと、医療的リハビリと連携して、麻痺が起こる前の日常生活に近づけるのが、医療と介護、福祉用具、住宅改修の考え方となります。 すでに高齢社会となっている我が国では、老齢化によって日常生活に支障がでる高齢者が増えていますし、これからもさらに増えると予想されます。 医療も、障害を治癒させる方向以外に、自立した日常生活に向けた考え方が広がってきています。 介護サービスを担う方々や専門の知識をもった方々。 「福祉用具専門相談員」や、「福祉住環境コーディネーター」。 自立した生活を回復させるための、福祉用具の選定や住宅改修は医療サービスと同等な結果をもたらす、重要な役割を担うようになってきています。 |